“キリストの似姿に近付く黙想はリバイバルの鍵(簡潔版)”



山陰と日本全国の主にある諸先生方と日本の全てのキリスト者の皆様へ

       2014年12月恵日
米子復活教会・鳥取復活教会牧師:佐藤勝徳



                                            
【主の御再臨に備える異邦人キリスト者とは】
①ユダヤ人に妬みを感じさせる異邦人キリスト者
戸口まで来ておられる御再臨の主をお迎えする為に相応しい異邦人キリスト者が必要とされています。それは、ユダヤ人に妬みを感じさせる程キリストの如くに愛と正義と生きるキリスト者です。イエス様がアブラハム契約とダビデ契約に基づき1000年王国とよばれるメシヤ王国を樹立させる為に、ユダヤ人を民族ごと回心に導かれる事をパウロはローマ書で預言しています。(ローマ11:25-27)。その為に必要な器が「ユダヤ人に妬みを感じさせる程、キリストの如く聖化された異邦人キリスト者」です。「私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。」(ローマ11:13-14)。
②「主への謙遜と100%の献身と神を恐れるキリスト者」
 IMMJAPANは米国の金山昌秀ドクターによって昨年の7月に米国で設立されましたNPOです。金山ドクターは、「日本に1000年王国の雛型としてのリバイバルを起こす」と主から啓示を受けられ、その主のリバイバルの御業に必要とされる条件が、主の御前に「謙遜と100%の献身と神を恐れる日本人キリスト者」の出現だと示されています。その様なキリスト者こそが、リバイバルと主の御再臨の備えに必要なキリスト者です。
③教会に分裂をもたらさないキリスト者
教会分裂の原因は聖書が教えているように、罪の性質をもっている古い人から生じるも肉の働きによります。肉に対処するのは御霊です。キリスト者が御霊の導きに忠実に生きる時に、肉の働きは遮断されます。日本のキリスト者が「謙遜」と「100%の献身」と「神を恐れる心」により御霊の細き御声に従って生きて行く「健全なキリスト者」となる為に、「古い人が十字架でキリストと共に死に、キリストと共に甦ってキリストの様に神の徳で満ち満ちた者とされている」という救いの御業に目が開かれている事が必要です。それが古い人から生じる肉の様々な邪悪な感情に囚われない秘訣です。
【教会指導者の役割り】
①全てのキリスト者を
主に喜んで仕える奉仕者に訓練し整える
教会の指導者である私達牧師と伝道者は、積極的な宣教と健全な教会形成の為に教会の兄弟姉妹を、謙遜と100%の献身と神を恐れるキリスト者となるように訓練し、徹底して主に仕える奉仕者へと整える為に召されています。「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」(エペソ4:11~13)
②IMMJAPANのPSGの実践は現代の
キリスト者を訓練し整える最も相応しい方法の一つ
IMMJAPANの二人~三人のPSG(プレイヤースモー
ルグループ)の目的は、人を集める事でなく、黙想を通して、神様と個人的関係を築き、謙遜と100%の献身と神を恐れるキリス者へと訓練する事にあります。訓練されたキリスト者は、やがて、自分の家の隠れた部屋で、神様と一対一の深い交わりの時を喜んで持つようになり、キリストの似姿にだんだんと変えられ、御霊の細き御声に聞き従う従順な人へと引き上げられ、教会と家族と職場のリバイバルの為に、また、ユダヤ人の救いと主の御再臨に備えるキリスト者として整えられていきます。それがPSGの目的です。
【PSGの恵みと力】
①肉の人から霊の人へ刷新する恵みと力
IMMJAPANのPSGはイザヤ書40章31節の「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」という約束の御言葉を体験させています。「新しく」と訳されているヘブル語原語は「刷新」という意味の言葉が使用されています。静まって主を待ち望む習慣は、キリスト者に自分の知恵や力である肉に寄り頼む人から、主の知恵と力により頼む人へと変えられ、肉の人から霊の人に刷新されて行きます。
②知恵と啓示の霊である御霊の諭し受ける恵みと力
 IMMJAPANのPSGは、不思議に知恵と啓示の霊である聖霊の油注ぎがあり、参加しているキリスト者に聖書の御言葉の真理を悟るように導かれています。私が三十六年かかってやっと会得したパウロの説く福音の全体像を、日本のリーダーである足立省三兄弟は、PSGを通して主からの直接の解説で一年で会得したというのです。私の教会員もPSGの中で主との交わりが深められていき、今年の10月17日に主から直接、これまで繰り返し聞いてきた「古い人は十字架でキリストと共に死んだ」という福音を諭され、喜びと平安に満ち溢れるという体験をしています。
【各個教会とIMMJAPANとの
健全な関係の構築の為に】
①IMMJAPANはカルトではない
▲IMMJAPANはトップダウン式の組織ではない
 「創立者の金山ドクターに示された啓示が絶対となり、それがトップダウン形式に伝えられ絶対服従が求められている。それに逆らう事が許されないので傷ついた人がいる」という内容の批判文書がありましたが、それは欺瞞的な批判です。金山ドクターの色々なメッセージを聞いておりますが、金山ドクターに従えとは一度も言われていません。メッセージの中心テーマは、「生活の全ての領域で心低くして、主に聞き従い、主と共に歩みましょう」です。それはこの世の言う「トップダウン式」のカルト的組織のメッセージではありません。私達牧師が、もし、神様に示された事として、礼拝メッセージで「心を低くして、主に聞き従い、主と共に歩みましょう」と言えば、トップダウン式のカルトになるのでしょうか。
▲IMMJAPANは目に見えない普遍的な聖なる公同教会に属する信徒の集まりです
ある人は、IMMJAPANの創立者である金山ドクターや日本のリーダーである足立省三兄弟が自分達の所属している教会を明かさないので問題だと決めかかっている人がおられますが、それは欺瞞です。異端か、カルトかを見極める為に最も必要な事は、どの教団に属しているとか、どの教会に属しているとかは全く関係がありません。大事なのは、どのような信仰を告白しているかという事です。キリストを正しく信じる信仰を告白していれば、宣教論によってカルトだとか異端呼ばわりしてはいけないのです! 主を正しく信じる信仰を告白している人は、全て主と一体化されている主にある兄弟姉妹です。どこの教会に属しているのかという問いに対して、私は「主の聖なる公同教会に属している方です」という返答で十分だと思っています。
▲神様の知恵や力に満たされるために、神様の前に
心を空っぽにする事は聖書的で正しい。
  ある人は、IMMJAPANのPSGの黙想で心を空っぽにさせる事がカルトだと批判をされています。そのような批判をする人は、聖書の教えそのものをカルトだと言っている事に気づくべきでしょう。詩篇46篇10節の「静まって、私こそ神であることを知れ」の静まるというヘブル語原語の意味は、浸す、垂れる、弱らせる、捨てるという事です。そこから、肉の働きを全て神様に丸投げして、人間に頼る事を一切やめる事ですので、「やめよ」とか「捨てよ」とも翻訳されています。神様の恵みと力に満たされる為に、心を「空」にし、王であり頭である主が自分に何を求め、何を示されるのか、主の僕として、主の語りかけを感謝と喜びと期待の内に待つのです。今を生きるキリスト者にとって、御復活をされた活けるキリストを御霊によって実際に知る事に優って価値ある事はありません。活けるキリストを体験的に知る事の価値を知ったパウロは、その他の事はみな「損」だとか「糞土」のように思っていると断言しています。そのような最も価値をある体験を得させるPSGの黙想を「カルトの手法だ」と言って批判する人は、神を恐れましょう! 「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。・・」 (ピリピ3:8)
▲実によって見分けよ
IMMJAPANの金山ドクターは、主に聞き従う自由を会得していない日本の多くのキリスト者を助ける為に活動をされています。信徒の兄弟姉妹に「御霊によって歩む自由」を許さない教会は危険ではないでしょうか。パウロはキリスト者の自由について次のように教えています。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」(ガラテヤ5:1)  金山ドクターがカルトや異端を創設した偽預言者かどうか知る方法は、主の教えでは「実によって見分ける」事です。金山ドクターの生活が、キリストの如き愛と正しさを表しているならば、本物です。金山ドクターは米国で一番優しい医師として、又、トップドクターとして選ばれています。そのような金山ドクターの日常の良き御霊の実を見ないで、それに目をつむって批判を繰り返す人は、神を恐れましょう。「悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。」(ルカ6:43)
②IMMJAPANは異端ではない
▲欺瞞的な批判とは
 ある方から、「教会の指導者の相談なしに自分の教会員をIMMJAPANの奉仕活動をさせるのは異端だと、ある牧師達が批判をされている」とお聞きしていますが、それも欺瞞的な批判です。異端は、聖書が教えているように、キリストを信じるだけでは救われない。信仰にプラス行いが必要だとか、又は、キリストが神であり人であるという、メシヤ神人説を否定し三位一体の神を認めないキリス教団体や教師です。金山ドクターのメッセージにはそのような教えは一つもありません。もし、IMMJAPANを異端だと決めつけて、キリストの僕である信徒に許されている「御霊によって生きる自由」を奪うのは、欺瞞的批判となりますから、神を恐れましょう。
③IMMJAPANと教会の健全な関係
では、信徒のリバイバル運動であるIMMJAPANの奉仕に各個教会の信徒の兄弟姉妹方が喜んで参加したい、或いは喜んでPSGをもちたいという事が起こればどうすれば良いのでしょうか。
▲命がけで真実を追求している人
IMMJAPANの働きが実際に主から出ている運動かどうかは、命がけで真実を求める人であれば、さほど時間をかけずにすぐに理解できるように主は導かれます。私はその事を体験的に証が出来ます。私は、まだIMMJAPANを知らなかった今年の6月に、金山ドクターのメッセージをCDやDVDで四回ほど繰り返し聞きました。又、今年7月に行われた松江の大会で、直接金山ドクターのメッセージを聞きましたが、主は私に「真実な聖書の教えに沿った金山ドクターのメッセージには嘘がない真実だ」と教えて下さいました。また、二回ほどPSGを実際に体験して、PSGに主の油が注がれている事をキャッチしましたので、PSGの本質をすぐに聖霊によって諭して頂きました。IMMJAPANのPSGは、詩篇46篇10節の「静まってわたしこそ神である事を知れ」とイザヤ書40章31節の「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」の命令と約束を信じての実践行動です。
▲「真実にとって欺瞞ほど立ちの悪い敵はない」
ある人が「真実にとって欺瞞ほど嘘より立ちの悪い敵はない」と言っておりますが、反対や批判をされている牧師方やキリスト者の兄弟姉妹方にお尋ねします。自分の批判や反対が「真実な主から出ている」と心の底からパウロのように証が出来るでしょうか。又、真実な聖書の教えに叶っているでしょうか。更に、キリストの如くどんな人も愛する命がけの愛が批判の動機となっているでしょうか。もしそうでなければ、それは立ちの悪い欺瞞とならないでしょうか。ヤコブは「主の御心であれば、これもしよう、あれもしよう、というべきでる」と教えています。
▲信仰による自由は信仰者のプライバシー
牧師方がもし、「主の御心ならばあれもしよう、これもしよう」と、主の御心に命がけで目指されていれば、信徒の皆さんが「主の御心だと判断して生きる自由」を、たとえ自分の意に沿わなくても許すでしょう。もし、信徒の方を主の御心に委ねる事ができず、自分の意に沿う事だけを信徒の皆さんに求めるとすれば、それはカルト化ではないでしょうか。
聖書は、全てのキリスト者が大牧者である主のみ声を知っていると教えています。又、全てのキリスト者は、心の内に与えられている油が何事も教えるので、生活全般については誰からも教えを受ける必要はないとヨハネは断言しています。「個々人のキリスト者と主との間に誰も入る事は許されないのです。また、個々人のキリスト者は自分と主との間に誰も入る事を許してはいけないのです」。
「あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(Ⅰヨハネ2:27)
⑤欺瞞に陥らない為に
▲古い人から生じる邪悪な感情の問題
 私達教会の指導者が、欺瞞に陥らない秘訣はあるでしょうか。それは、生まれながらの自分、罪の性質と言う原罪をもって生まれた古い自分は、巧妙な欺瞞者であるという事を認める事です。エレミヤは人の心の偽善性(陰険さ)は万物に優るもので、それは人の性質となっていると教えています。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ17:9)
ユダヤ人の指導者がイエス様に殺意を抱いた根本的な理由は、古い人から生じる妬みでした。民衆に人気のあったイエス様の存在によって、自分で自分の自尊心を傷つけ大変不愉快になり、邪悪な妬みの感情をもったのです。
▲「承認の欲求」と「支配欲」の問題
何故、教会の指導者が信徒の兄弟姉妹の自由を喜ばないのか、その根本的な理由が二つあるように思います。人から賞賛を求める「承認の欲求」と「支配欲(権力欲)」です。教会の指導者である私達は「教会の兄弟姉妹を支配したい」と、誰もそんな不純な動機で牧師や伝道者に献身したのではありません。純粋に神様の愛に燃えて、献身して牧会者の道を歩み始めたのです。しかし、生まれながらの自分である、人からの賞賛を貪欲に求める「承認の欲求」と「支配欲(権力欲)」を持つ「古い人」がキリストと共に十字架で死んだ事を聖霊によって諭して頂いていないと、当初の純粋な献身の心に反して、いつしか自然とその貪欲に汚染され、不純な動機で奉仕をするようになるのです。悪魔の非常に巧妙な策略は、キリスト者の心の中の古い人のもつ貪欲をつつく事です。油断しているとやられてしまうのです。「承認の欲求」と「支配欲(権力欲)」によって生じる「傷ついた自尊心」「妬み」「不愉快」という不純な動機こそ「心の隠れた罪」です。教会で信徒の兄弟姉妹が、教会の指導者に相談しないで神様の導きで聖書的で霊的な働きに参加すると、時に指導者の心が騒ぎ「自尊心(プライド)が傷つき」不愉快になって行きます。そこで、「教会に分裂をもたらす」とか、「先ず牧師に相談してからすべきなのに黙ってする事は非常識で異端だ」とか、「悪霊から出ている」とか、尤もらしい言葉を色々と並べて、肉による自己主張を始めるのです。そこにはキリストの聖なる心がないのです。それこそが、教会分裂の元凶だという事に教会の指導者は気づくべきだと思います。
▲キリストと共に十字架で過ぎ去った「古き人」とは
古い人の罪の性質とは、貪欲の傾向性の事を意味しています。もし、生まれながらの貪欲の傾向性を持っている古い人がキリストと共に十字架に死に永遠に過ぎ去った事を聖霊によって諭して頂いていないと、どのようなキリスト者も、人から褒められたいという「承認の欲求」と「支配欲(権力欲)」という貪欲により、自分が批判をされたり、自分よりほかの人が称賛されたり、認められたりすると、どこか意志に関係なく自然と湧き起こってくる邪悪な感情によって心が騒ぎ、自尊心を傷つけ大変不愉快な気分を持つのです。そのような不純な心、邪悪な思い、自分で自分のプライドを傷つけた不愉快な感情は、意志の力では消滅させる事が出来ないので、心の奥深くに赦さない気持ちを持ち続けるのです。意志の力の限界です。

▲欺瞞者・偽善者とは
「古い人が死んだ」という霊的事実を知らない多くのキリスト者は、そのような邪悪な感情が生じれば、意志の力で心の奥底に押し込み、自分を偽善者、欺瞞者にしているのです。他者の喜びや幸福を妬んで不愉快になっているのに、妬んでいないかのように、不愉快でないかのように、喜びを共有しているかのように振る舞うのです。また隣人が痛みや苦しみを負っていると、どこかせせら笑っている冷たい自分が潜んでいる事を発見しますが、それを意志によって隠して痛みや悲しみを共有しているかのように装うのです。それが正しい事だと思うのですから、厄介です。パウロの説いている古い人がキリストと共に十字架に死んだという霊的事実に、聖霊によって心の目が開かれていなければ、誰もが自ずと偽善や欺瞞に陥るのです。それが罪に堕落した私達の宿命なのです。
「ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」(Ⅱコリント5:14)
⑥IMM JAPANは
聖書的で正当的なキリスト教宣教団体の一つ
▲聖書的なキリスト教諸団体の役割り
  日本や世界にはキリストの福音を伝える為に、又、キリストの愛の実践の為に多くの諸団体が存在しています。そうした団体は、各個教会の宣教活動や健全な教会形成や成長に仕えておられます。そうした正当な団体による集会や活動に、キリスト者が主の導きと信じて参加する時に、1回1回教会の指導者に相談をする義務があるでしょうか。勿論、主が相談をしなさいと声をかけられれば別ですが。もし、相談なしに教会員が他のキリスト教団体の集会や活動に参加している事が分かれば、自分に相談をしなかった事に不愉快を感じて問題にするのでなく、その団体が神様の御心に叶ったものかどうか、正しく調べて聖書的だと判断できれば、広い心で見守る事はしても、主に許されたキリスト者の自由を妨げてはならないと思います。教会の指導者は、自分の心の中にある意志に関係なく古い人から自然と生じる人から称賛してほしいという「承認の欲求」と「支配欲(権力欲」によって、自分のプライドを傷つけ不愉快になって、兄弟姉妹方の信仰による自由を束縛するという罠に陥らないように、自らに厳格であるべきでしょう。
▲IMMJAPANは「聖書的である事」と「主に聞き従う事」に全力を注ぐ信徒の宣教団体である
 IMMJAPANがカルトか異端かを見極める最も重要な物差し、最も重要な審判者は聖書そのものです。批判をされる方は、金山ドクターのメッセージが、聖書に照らして間違っている事があれば、そこで初めて批判は展開されなければなりません。もし、聖書の教えに照らして間違ったメッセージや教理が説かれていれば、人から聞いたとか、著名な人を出してだれだれが言っているとか、欺瞞的な弁証でなく、自分の責任でもって堂々と聖書に沿って御霊の導きの中で批判を展開されるでしょう。又、直接にその団体の集会に参加して実際にどのような事が話され、どのような活動がなされているのか調べるべきだと思います。そうした、キリスト者として最低限求められる努力をしないで、IMMJAPANは会計報告(NPOとして決算報告はなされているとお聞きしています)がないとか、脱会者がどうのこうのと、だれだれがどうのこうのと、人の言葉や噂や邪推によるインターネットの批判的情報を、自分の反対の正当化に利用するという欺瞞は絶対に避けなければなりません。神様を恐れましょう!
多くの福音的で聖書的で正当的な超教派による団体があるように、IMM JAPANは「聖書的な信徒によるリバイバル運動の宣教団体」だと私は位置づけております。それに参加すると、教会が分裂する、或いは信徒の方が教会の指導者や教会を軽んじるという事は決してありません。逆に各個教会に大きな恵みと祝福が父なる神様によって注がれる事でしょう。私達はPSGを初めて未だ四カ月ですが、私は牧師として健全な教会形成の為に大変感謝しています。沢山の証がありますので、よろしければ是非個人的にお聞きくだされば幸いに思います。
 主にある全国の教会の指導者の牧師方と全てのキリスト者の兄弟姉妹方が心の目、霊の目を開いて、IMMJAPANの真実な姿をご覧いただきますように、父に祈ります。

【IMMJAPAN全国10都市大会へのご案内】
その金山ドクターが、今年の年末年始に。主からIMMJAPANの10都市大会をするように啓示を受けられましたので、下記の通りに10都市大会が行われます。詳細はインターネットでご覧ください。

日本に大リバイバルが必ずやって来る事を信じます!

      西日本5都市大会                                      
①和歌山 12月20日(土)14:00 和歌山ビッグ愛
②徳島  12月21日(日)15:00 とくぎんトモニプラザ
③富山  12月23日(火)13:00 富山タワー111
④高松  12月27日(土)14:00 香川県民ホール
⑤鳥取  12月28日(日)15:00 とりぎん文化会館
      東日本5都市大会
①浜松   1月10日(土)14:00  アクトシテイ浜松
②水戸   1月11日(日)16:00  ホテルサトー水戸
③長野   1月12日(月)14:00 長野市生涯学習センター
④宇都宮  1月17日(土)14:00 宇都宮市文化会館
⑤会津若松1月18日(日)16:00 会津若松市文化センター
≪このレポートに関する連絡先≫
katsunori-sato@wind.sannet.ne.jp